由喜組会
そうなのよな、私のダメなとこは、理論武装をして、分析に逃げて、
感情をださない、逃げる、自分自身も煙に巻く、みたいなとこよな。
でも向き合ってないから、感情は残って消化されない、、、、みたいなとこ。
怒りを他人にぶつけずに、自分で感じ切ることもせずに、分析して終わりってあるあるパターンだからな。
ぶつからない、ぶつかれない ために人と距離を取る。
わざと別の場所にいる。
分析に逃げる。
自分のあるあるだ。
リブログ先の記事が強いな。でも、そう言われるだけまだましだよ、それすら言われないように自分を守ってる。 誰にも自分を傷つけられないように、入ってこられないよに。
そうなんだよなぁ、、、、だから、ゆきさんと対決すれば変わるかなぁ、、、
と思ったんだ。でも彼女を信じていないんじゃ、対決もできないじゃん。
でも対決するのがいいこと? 対決したからって、自分は変わる??
自分で腑に落ちない限り、変わらないんじゃないの?
このままで行ったら、きっと働いたとしても、間違いなく強制終了がかかる気がする。。。
ドンピシャだもんなぁ。ちいと体が震えた。
そいつがそこに昇華されずに疼いてる限りそうなるに決まってるのだ。
消化してないんだから。
責められたときに動かないでいる、ってなんだろうな。
まだ、意地を張っている、これ以上張りっぱなしでいる気かい?
まとも、普通、ちゃんと、しっかり。これはリブログ先に書いてあった文章だけど、
たぶん、自分が自分をそうやって責めていたら、相手からも責められる。
そこの縛りは抜けているのか、、いや、抜けてない気がする。
自責めの皮をかぶった他責に入る、気がする。
責められたとき、困った時にそういう自分に開き直る、もしくは自分を開いて助けを求められないと、たぶんずっとこの責めは終わらない。
それでいちど卒論を取り逃したからなぁ。。
やってみて、強制終了がかかるまで待つか?
でも、このまま行ったらまずい、って気づいて働くの止めたんじゃなかったのか。
トラウマ、できない自分がさらけ出される恐怖におびえて就活できなかったんじゃなかったっけ? ねぇ、ほんとに。
こういう状態の自分で働いたら、早晩、強制終了がかかると思って止めたはず。
小出しにして修正して試行錯誤する以外になかろうよ。
普通になりたい、が口癖だったのだけど。
普通でない、特別な私、が好き、欲しいのかな。。。
責められたときに動かないのって、どうせ私が悪い、なのだろうか。。。
もうちょっとゆきちゃんを信用しなさいよ、じぶん。
でも、そこに丸腰で踏み込んでいって、先の見えない不安を彼女のように味わうのが怖いのだ。きっと。 そこに賭けられるほど自分は自分を信用していない。
それだけの情熱があるものかもわからない。
彼女はもともと教育をしてて、それはずっと変わらずやりたいこと。彼女にとって人と関わることや何かを教えることは、バカになるほど楽しいこと。していて嬉しいこと。
ただ、勤められなくなって、形が変わっただけ。
でも、私のやらなきゃと思ってたことは自分の怒りから来たものだから、信用ならない。そして私はそれを馬鹿にしている、たぶん。下に見ている。
自分を痛めつけるために、それをしようとしていた。
でも、それはなくなった。
自分を痛めつけないで仕事をするってなったら、私のやりたいことは何?
どうしても、これ、なんてことは自分の中にきっと無かった。
だだ、私は自分を救いたいと思っただけ。だから、自分のような人を救うためなら、書けるかもしれない。
自分は良い人ではないよ、悪い人なの知ってる。
ただ、たぶん自分を開いてないんだ、きっと。どういう顔して入ってけばいいか、いまいちよくわからない。
にこにこして相槌を打つことはできるけれどそれ以外は空気、なのが結構知らない人といるときの常套手段だからなぁ。
怒りが起きたときに爆発させたり言ったところで、なんにも変わらない、被害が大きくなるだけの気がして。 でも、彼は私の怒りをそのまま受け止めてくれている。
開いてないのは自分なのだ。
きっと考え方が違うから。自分を大切にしてくれている人だけど、なんだったら、なんやかんや言いながら私に付き合ってくれる人、それがその人の愛情。
表し方が違うのだ。
考え方も違うし。