よしなしごと

こころのこととか、前者後者論とか、好きなひとのこととか

私は仕事に死をかけてる気がするからなぁ。仕事が出来なければ死だ、でも、それが続けられないものだとたぶんまた死ぬみたいな。それなのに自分で探求できるものをなどと探している。 わからない。でも自分が本当にやりたいものじゃないとそうそう続かないと思う。

だって、私のつたない知識でも、中学の時の吹奏楽と、大学の時の卒論は、どちらも大変で嫌なことだったが、吹奏楽は本当に嫌で、卒論は嫌だけど時間が許せば資料を読んだりすることは好きだった。それは卒論のテーマにしていることが間接的に自分のこれまでの人生で抱えてきた悩みの集大成だったから。

どうしても解決したかった、その糸口ぐらいは見つけたかった。だから、卒論をわからないまま中途半端であげたくはなかったのかもしれない。だから就活が怖くてできなかったのもあって、あと自分の思っていることその解決ができる論文が書けないと思って嫌になってほっぽり出した。途中で。そしたら、留年になった。留年した自分を認めたくなかった。どうしても、卒業できなかったと認めたくなかった。それを人に言って責められるのが怖かった。就職も怖くて、自分が働いたら、ちゃんとできない自分が間違えてすごい損害を出したらどうやって責任を取ったらいいんだろうと怖かった。間違えたら嫌われてしまう。責任がついて回る。まともでない自分にはできない。怖くてできなかった。どうしたらいいか、どう生きていったらいいかわからなかった。

働いていなかったら、引きこもったら人に責められる、働いていないという負い目が自分にはあった。働くのが怖くて働けない。引きこもったら、責められる、より働けなくなる。バイトも一度働き出したら、断れなくてずっと続けてしまって正社員に会社に勤められないんではないかと思って、始められなかった。ものすごい罪悪感だった。どうしていつも自分はまともに普通にできないんだろうと思った。自分はまともに普通にできない人と自分で決めていて、高校の時からこんな自分は死ねと思っていた。ずっと口に出してこんな自分は馬鹿だ、死んでしまえと思っていた。ずっと自分を責めていた。

引きこもっている、ニートしているということさえ人に言うのは怖くて、人と関われなかった。

自分はもう小学4年ぐらいから、なんか何も自分で決められなくて人に頼りっぱなしの大人になってしまったらどうしようという恐怖があった。それは読んだ本とその当時友達とこじれたことが原因だった。そこで自分は人を信じることを止めてしまった。人と話をすることも人とつながることもやめてしまった。

話したりして自分を傷つけられたらいやだった。

それは中学でも続いていて、いつも誰とも話さず教室で自分の机で本を読んでいた。人と最低限の会話はしたが、聞かれたことの返事ぐらいで、自分の思っていることや本音を人に話したりすることはなかった。だから人とどうかかわっていいかどうやって人に聞くのか人間関係コミュニケーション全般がわからなかった。人と話すときは人に気に入られるように、全部相手に合わせて返事をするか、全く相手を気にせずに全然喋らないかのどちらかだった。人に自分の意見を言えなかった。言ったら人は気分を害するかもしれない、そうしたら人に嫌われるかもしれないと思っていた。

吹奏楽部もたまたま自分を気にかけてくれる友達が、吹奏楽部員が足りないから入ってよみたいな感じで勧めてきた。相手の気持ちを害さないために、厳しいと聞いてあまり入りたくなかったのに入らなきゃならないかと思って入った。音楽は好きだった、でも厳しいのは嫌いだった。

部活に入らないと、友達の会話についていけなくなる、はぶられるみたいな感じの恐怖もあって、それまで馬が好きで乗馬クラブみたいのに入っていたのに止めた。

案の定部活は厳しかった。特に夏のコンクール前6月くらいになると、教えてくれる外部の先輩が来てビシビシしごかれた。私は本当に怒鳴られたりするのに弱くて、先輩がいると毎回憂鬱で胃が縮む思いがした。怒られるのが怖くて、練習はしているんだけど、できるようにならないし、その練習は怒られるのが怖いというモチベーションでやっているものだから、上手くなりたくてやっているものでないので、いつもやってはいたけど身にならなかった。いつも楽器を持ち帰っても、結局できないからやりたくなくて、練習はしなかった。

ここで、厳しいことに耐えられるのは、自分が本当にやりたいと思うことでないと絶対に続かないという自分の信念が生まれる。社会や会社に入って、すごく厳しくても怒鳴られまくっても、できるのは自分が好きで本当にやりたいと思っていることだけだと思った。

中学の3年間は早くこの部活が終わってくれないか、早く3年過ぎてくれないかとばかり思っていた。そこで、部活がつらいからと言ってやめるのは、人にどう思われるかわからない、だめな奴だと思われるのではないかと思い、その恐怖で止めることもできなかった。そこで、出来なかった自分を痛めつけるとか、言葉で責めるという自分の癖が始まる。また、できないという自分を正当化するために、わざと自分をできなくするような自動反応する体の癖みたいなのも出てきた。その先輩が怖くて本当につらいんだということを親にも友達にも共有して話せなかった。話したら先輩からもっと怖い要求が飛んでくるのではないかという、そんなことをしたら、またひどいことが起こるのではないかという恐怖のためだった。友達という友達もいないし、本当に心を許して深いところを話せる人もいなかったから、中学の3年間は本当に地獄と言えば精神的には地獄だった。

楽部の人間関係は多くの人が集まるから、やはりそうそう上手くいくことばかりでもなくて、みんながもめていがみ合う、それに巻き込まれるのにも嫌だと思った。

 

 

そんなこんなで高校に入った。中学の時の反省から絶対に部活には入るまいと思った。部活に入ったらまた煩わしく大変な人間関係と、厳しい練習が待っている、そして自分は楽器を上手にきちんとなることはできないと思ったからだった。

人に自分を開けないという事態はまだ続いていた。人は自分を利用するか隙を見せたら責めるかいじめてくるのではないかと思った。だから、ここでも自分は誰とも話さず、本を読んでいることで教室の中で存在していることができた。相手も、話してもあまり話したがらない人には声をかけない。そのまま本を読んでいるおとなしい人になった。

それで悲しかったのは、修学旅行だった、沖縄に行ったのだが、自分は別に誰と一緒にされても関わらないからいいや、それを言う権利は独り身の私にはないと思って、グループのどこに入ってもいいとあきらめていたら、あまりうまく話せない人たちと部屋を一緒にされ、自由行動の時は本当に一人でずっと沖縄の街を巡っていたから、この時ばかりは友達を作っておけばよかったなと後悔した。

とにかく人と話したい関わりたいという思いは根底にはあったのかもしれないが、自分は一人でいいやとすねたり人とかかわることをすでに諦めてしまっていて、人に話しかけるのすら一苦労だった。どうやって話かけたらいいかわからないのだ。

高校の時はこれから人と関われない私がどう生きていったらいいか、こんなに馬鹿で何もできない私は死んでしまえばいいという気持ちで満たされた。たぶんこれから先自分がかかわることができる人は現れないだろうという絶望的な気分になった。いとこの結婚式のとき、自分には一生一人だからこんな幸せな未来は絶対に訪れないと思って、式の最中にものすごく悲しくなったのを覚えている。

高校の時に失敗と責任の恐怖でこんな働くのも怖くて、自分はどうやって生きていったらいいんだろうとすごく思った。こんな自分には少しでも人の役にたつような仕事ぐらいしかないだろうと思った。すごくつらくて大変だという老人介護系の仕事くらいしか自分がして償いができる職はないだろうと思っていた。でも、私は人と共同して働くのは苦手だし、人に接するのも苦手だった。正直いうとあまりやりたくない仕事だった。でも脳内の私はそれを私にやれと責めた。お前ができる仕事はそれしかないんだ、お前はそれをしろと責めて自分に強制していた。私はそれをしたくないんだ。でもお前はそれをしなければならない、という脳内の声が聞こえた。いつもそうだった。脳内の私はいつも自分を責め立てていた。馬鹿でどうしようもなくて、何にもできず、お前なんぞ死ねばいいんだと自分を責め立てていたんだ。

人生は長く一本続くはしごで、そのはしごから落ちてしまったら取り返しがきかないものだと思っていた。ずっとずっと上り続けなくてはならなくて、終わりが見えない、ここまでやったらいいというのがわからないのだ。ジリ貧になるのが目に見えているところでさしたる喜びもないままずっと働き続けなければならないことが嫌だった。

苦しくつらい努力を何年も必死にやったところで、自分が思ったようになれるかはわからない、水の泡に帰すかもしれない。努力をすることが楽しくもない。働いても不安から逃れられない感じが嫌だった。

長く厳しい仕事をするには、ものすごく強い動機か、絶対に手に入れたいものが必要だと思った。

そうじゃないと、お金だけではそんなのに耐えられない、それだったら死んだほうがましだと思った。

 

だから、どうしても自分が探求できるようなものが必要なのだ。でもその探求できることは人に関してとか教育とかだから、自分が一番苦手な分野にあるのだ。

人間心理を学んで自分を救いたいし、自分のようにこんがらがった人を助けたいみたいな気持ちもある。自分のように迷わないように小さいうちから人を育てるようなことをしてみたくもある。

仕事は 好きなこと 得意なこと やらなきゃいけないなと思うこと で決めるという尺度があるが、それをもとにすると自分はやらなきゃいけないということしか仕事の尺度がない。

 

人とかかわるのがすごく怖いし、どうやって関わっていったらいいかわからないからだ。でも自分は風間さんのように自然体で人と接することができるようになりたいという目標がある。そうすれば自分のこの生きづらさが改善されると思うからだ。これは死ぬまでに絶対にやりたい、やることなのだ。今、それができなくてものすごくつらい状況に陥っているから。

さあ、どうしたらいいだろう。事務職がいいなんて思って探していたけれど、そして、一刻も早く就職しなければ早晩自分の貯金はつきて死ぬことになるけど。

一番苦手なことに飛び込む勇気はあるか。

 

人と話すのが怖くて面接にいけない自分が。