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風間さんと笑い 分析 欽ちゃんコント 

格好をつけずに、自分のすべてを客前にさらして、頭でなく体で起こってくる、その人自身から出る笑いとか面白さみたいなものを客と共有して、その場の空気を客と共有して客と一緒に空気を作っていくみたいな感じなのかな。客の引いた感じとかもすべて受け止めた上で、その場の空気を掴んで自分で作っていくみたいな感じ。笑いってその人の内側から出るものだったりする気がする。

なんか笑いってその人自身の味、その人自身の面白さ、その人がそこにいるってことから生まれる、もしくはその人が持つ空気感みたいなものから生まれる気がして。

頭で作るような小手先のものでなく、その人自身から生まれる、その人がそこに堂々といることから生まれる感覚な気がする。滑ってもそこに堂々といる感じ。なのかもしれない。滑ってもいい、そこに堂々といることで生まれる安心感みたいなもの。不安がらずに、堂々と自分を出すことから生まれるものな気がする。笑いって。

だから客を掴めるし、客が演者が作り出した空間とか空気に乗ってくれるんだよ。

自分自身の人間の味とか面白さみたいなものを見せるものなのかもな。笑いって。

なんかオードリーとか南海キャンディーズとかフォーマットでなく自分をネタに漫才をしている人を見ているとそう思う。

笑いの底に、自分を出すこと、自分をさらけ出すとか、自分のすべてを人前にさらす感覚がある気がして、もし、自分のすべてが人前に晒されても、笑ってそこに、人前にいられる覚悟があるというか、それでもいいって思って人前に出ている感覚がある気がして、芸人さんとか。

 

芸能人って芸っていうよりも前に、自分を売る商売、自分の生き様を売る商売なのかもねって思った。