よしなしごと

こころのこととか、前者後者論とか、好きなひとのこととか

何をいうかより、誰が言うかで全く言うことの意味合い、起こる感情が違うということ。 その人が持っている前提の考えの重要性

(どうして、風間さんのリア充は嫌いです、は許せて、小山さんのリア充女子にイラっとするは許せないんだろうな。と思った。)

 

風間さんはリア充ではあるけれど、根本的にいい人というか見た目か?チャラついたことをかっこいいと思っていない感じがあるからなのかもしれない。

風間さんはリア充に対して憧れを感じている自分を認めている、リア充を嫌っている自分を自分の心理的なことから探っていこうとしているからなのかな。リア充である他人を批判するんでなくて、まず、そう思う自分の心の中を見る。自分が嫌なことを表明するのでなくそういうこともあるよね、って他人を理解しようとする。風間さんの言い方ってコラムでも、嫌だってことを表明しても、他人の批判じゃないんだよね、必ず自分に話題を持ってくる。嫌な感じを受けない書き方なの。

根本的に自分の信念があって、違う意見の人も受け入れるかどうかは別として、意見としては否定せずにちゃんと聞こうという意思がある。あと、自分の意志がぐらぐらせずに落ち着いてるってのがあるんだろうな。いや、風間さん自体のスタンスが落ち着いているのか?

まあ、そうじゃないことも多々なんだろうけど。

リア充なんだけど、きっと日陰者を否定しない人だよなって感じ。

茶髪でうえーいみたいな感じの人ではない。心性的にいい好青年って感じだからなのかも。 でも、思いきりハロウィンを楽しんでいた感じ、伝聞だからわからないが、なのにいかにも私はハロウィンなどやってません的な感じで見てただけですみたいな感じで普通にうそというかそういうのを混ぜてブロスを書いているのが、すごくずるくてしたたかだよな、と思う。読者に合わせて内容を変えるって言ったら聞こえはいいけど。

書きたくないことイメージに合わないことは書かないし、改変するんだな、と思って。

伝聞だからわからないけどね。風間さんそういうことすることあるよな、だから風間さんのすることはほんとかどうかわからないんだよな。何をするにしても疑いの目で見ることはある。リア充ってこととは話は違うけどね。

風間さんだってさ、言い方は紳士的でレディーファーストだけど、結婚したら女性は全面的に男性を頼ってくれていいとか、女性を自分色に汚したいとか、全然そういう風には言っていないけど、女性の力を信じていない、女性はか弱いというか一人前の同等の人間であるって感じでない、根本的には女性は男性が守らなきゃみたいな男性優位な考え方をしていて、そっちのほうが女性軽視としては、社会の問題としても根が深いかもしれないのに。

まあ実際結婚するとなったら、自分が全部をしょい込んでは支えられないから、自分のことは自分でやってくれる人がいい、みたいなこと言ってたから、建前と本音は違うのかもしれないけど。

風間さんにあるのは、建前と本音なんだな、建て前と本音を上手く使い分けているんだよ。風間さんの場合、言っていることがすべてじゃない。100%本当とは限らないところがある。 風間さん自身でもそれに近いところは言っているし。

ハートネットで自分は全然さらけ出していないと言っていたしな。

 

小山さんきっとリア充であって、日陰者を否定していた人なんじゃないかな、と私は思っているから。以前に日陰者であったから、リア充でありたいと思った人。リア充であることに憧れを感じていた人?リア充であることを良いこと、カッコイイ、イケている、流行っていることと信じて、自分の信念なく流行を追うようにリア充であった人。リア充でなければみんなに馬鹿にされてしまうと思っていたような人。自分がないというか。小山さんのは、自分を見るんでなくて、他人の否定なんだ。自分はこういう人を嫌だと思う、本当に嫌だな。ってそれで終わりな感じがして。

逆に小山さんは、自身もリア充的な見た目で、大学生活をリア充として楽しんでおきながら、自分がリア充的なことをやっていたのをさておいて、他人がリア充であることを否定しているのがイヤなんだろうな、私。自分もそうだったのに、他人がそうであるのは許せないのかよ、いやそこは許せよみたいな感じで。

あと、女性はリア充であってほしくないという男性の女性を神聖な、清楚なものにしておきたい願望、女性だけにそれを求めるという男性の身勝手さみたいなものがあると私には見えてしまうのだろうな。なんだよそれ、みたいな。

逆に彼は自分がリア充であった、そしてそれを今では恥じているからこそ、同族嫌悪的な感じで嫌なのかもな。

小山さんは自分がリア充であった、その自分を自分がプラスの思い出というか出来事として認めていないところがあるのか。リア充であった過去の自分を否定している。私はたぶんそれが嫌なのか?やっていたけれど、その自分を恥じているから。

リア充であるということはそんなにいいものでもないんだよ、いいように言われているけどたいしたものではない。それとは違う美しさみたいなものってあるんだよ、って、たぶん自分がリア充を経験したから言える言葉で、自分で経験したからこそ、そして今はそれを恥じている、否定しているからこそリア充を人一倍嫌になるとか、リア充を否定してしまうっていうのがあるのかもね。

私の気持ちとしては、リア充やってたのに、さておいて恥じるってどういうことだよ、じゃあやるなよ最初から、みたいな感じ。私はリア充と言われるタイプの人にもともとそんなに興味もないし、逆に何アイツって笑われる日陰者の存在、リア充に攻撃される存在だからこそ、そういうリア充と言われる人が嫌なんだろうな。

別に攻撃してこなけりゃ多少、心の中ではどうしてあんなふうな人がいるのかって嫌悪軽蔑の気持ちがあったとしても、そういう人もいるんだね、で普通に終わる感じなのにな。

 

あと、私の心性であるとするなら、日陰者の存在である自分にたぶん自信がなくて、胸を張れない自分がいる、リア充と言われる人をその社交性と元気さで羨ましいと感じているからこそ、そういう人々を嫌悪するんだろうなと思った。

元気な人が正しいのではないか、という思い込まされた正義みたいなもの、そうなれない自分への引け目みたいなものがあるから。

真逆の存在だからこそ、自分の正当性を主張したくなる、そして正当性を主張したくなる人は、自分の好きとか、自分の気持ちに自信がない人なんだろうな。相手を攻撃しなければ自分を保てないというか。正しさで裁かないようになれない人。自分が好き、でそれでいいというふうにはなれない。

 

やっぱり、日陰者である自分を認めて、好きになれる自分でいたいよな。元気に明るく振舞えない自分に引け目を感じて、不安になって自信がなくなってしまうけど、明るく振舞わなきゃって時には明るく振舞える自分でいたいというか、自分のスイッチを多少切り替えられる自分でいたいというか。

無理して明るく振舞う必要はないが、気持ち的にニュートラルで落ち着いた自分でいたい。だから、風間さんなんだよな、風間さん明るく振舞ってるわけじゃないんだよな、なんかニュートラルなの、でもあの笑顔でほっとするの。あの自然体でニュートラルな感じと笑顔で人を寄せるし、人に安心を与えるんだよ。

なんていうのかな、さわやかで落ち着いた気持ちのいい青年って感じ。

あの感じってどこから来るんだろうな。

 

 

※※ いや、全然違うわ、小山さんじゃなくてこれ言ってたの手越さんだったわ。私が勘違いしてた。何をいうかより、誰がいうかの典型パターンだわ。間違ってブログ上げるとこだった。

これを言ったのが手越さんなら、私は全然いらいらしない、全く全然、そういうはっきり言うキャラだって分かっているし、ネチネチしない、言いたいことはきっぱりというけど相手のせいにしたりとかしないし、感情を引きずらない人な感じがするから。言ったことを深読みしなくてもいい。なんか竹で割ったようにさっぱりとした人のイメージ。手越さんって。誰が言ったか、そしてその人の背景をどれだけ知っているかによって、同じことを言っても起こる感情が全然違うんだ。

小山さんがこれを言ったら、こんなにも嫌な感情が沸くのに、この違いはなんだ??

おもしれー、全然意味合いが違ってきちゃうじゃん。

しかも小山さんよくよく見たらリア充否定派だったし、で、しかもさぁ、加藤さんの好きに楽しんだらいい、普通にいいと思うって、+の意味合いで言ってるんじゃなくて、-の意味合いで冷笑してるんだよ。冷笑っていうか、自分はこの話題に感じては全然興味がありませんて感じか?別にいいけど、自己アピールしてわざわざかまってくれって絡んでこないでほしい。みたいなことでしょ。これだってその人をよくよく知らないと、音声を聞いたりしないと文字面だけでは意味合いがわからない。

それにインスタグラムって普通に記録って面もあるけど、楽しかったことを共有したいって面もあるでしょうに。仲のいい人にこんなことがあったんだよって写真を見せて話をするような感じ。アピールっていうとまた違うけど。受け取るほうの受け取り方の問題か。楽しかったってことをただ言いたいだけって人もいるだろうし、それで人の気を引きたいって人もいるだろうし。その文面をどういう風に見ている人が取るかというのは自由だし。

仕事として写真をとられるってことを仕事にしている人の意識はまた全然違うのかな。わざわざどうして、プライベートでまで撮った写真を公開して、自己アピールしたいって欲求が起こるんだみたいな感じなのかもしれない。

仕事で自己アピールしなきゃいけない人は、そして、アイドルみたいに自己顕示欲が満たされる職についていて、その酸いも甘いも分かっている人は、わざわざプライベートでまで自己アピールしたくなんぞならないってことか。

そして、手越さんの、ハロウィン仮装が嫌い、自分を盛って写真を撮る女子が嫌いってどうして、ほんとの自分ですごくきれいなのに、それを自己卑下して自分の美しさを自分で認めてあげないで、人に見せるときに少しでもよく思われたいという意識で、自分目線でなくて他人からの承認で自分を作り上げるんだろうってことでしょ。

ハロウィンの女子みんながリア充な感じが苦手、しかも女子限定ってそれなんのひっかかりなんだろうな。女性はみんな一人一人きれいなのに、どうしてわざわざ自分の素敵さに対して他人の承認を求めるようなことをするんだろう、みたいなことなのか??

なんでそこにひっかかるのかわからないな。

ただ、仮装が楽しい、こんなに楽しかったーってことをただ自分が確認したいって手段でいいのに。わざわざアピールするのが苦手なのかな。自分の承認でなくて他人の承認をもって自分がいいか悪いかを確認する生き方みたいなのが苦手なのかな。仮装っていうのが手越さんには、自分はこんなに楽しいんです、こんな自分素敵でしょっていう自己アピールの手段みたいに見えているってことか。

ただ、それをするのが楽しいからする、この楽しさを共有したいから、写真を撮りたいでなく。

うーん。よくわからん。

 

 

 

 

てことは、その人が持っている情報とか考え方に沿うようにその正しさを証明しようとして自分は自分の考え方を組み立てていくってことだから、(私が小山さんに対して、悪いイメージというものをもっていて、ちょっとファン思いでなく自己中心的だなって思ったことがあって(コンサートレポ禁止の考え方)その悪いイメージから、悪い考えがふくらんで小山さんに対してこれだけの悪いイメージを自分がふくらませてしまったわけで)

私が風間さんに対して持っている前提みたいなものが、実際に付き合ってみたら全然違うってことも往々にしてあるわけだ、メディアはその人の一面しか映し出さないから。(こないだのハートネットでも風間さんちらっとシールズの人といじめの回のとき言っていたけど。)私は自分の考えに沿って風間さんを考えてすごく自分が風間さんに勘違いをしている部分が往々にしていっぱいあるってことなんだ。 

 

そして、その人が持っている前提が、その人の思想や振る舞いを形作るのに、ものすごい大きな役割をはたしているってのが 、なんか実感として1/4ぐらい腑に落ちた感じ。

わからない感じもするけど、わかったような感じもする。

心屋さんが言っていたその人のセルフイメージって前提ってそういうことなのか。

(福岡の道路陥没を福岡国際マラソンで勘違いしていたという例えで、自分のセルフイメージの重要性について説明してくれた人がいたけど。)

なんかすげえな。

 

 

話の元ネタ:  

*1 2016 11 16 1:04投稿から

twitter @ellisbell1816 のお気に入りに元ネタツイートあり

 

  1.  

*1:もえぞうさんtwitter@moezo_msより