よしなしごと

こころのこととか、前者後者論とか、好きなひとのこととか

私の気持ち いつも同じことを繰り返してしまうこと。

自分をやる気にさせるのに責めるのが一番すっきりする。死んでしまえって自分に言うと許された気持ちになる。

変わることよりこのまま死ぬことのほうが気持ち的には楽なのか。

責めたいんだな。できない人間だと確認したい。

できるようになりたくない。できるようになったら怖い。

いつものわたしじゃない。間違えると、へまをすると悔しいし、ダメな奴だと思うけど、同時にほっとするような感じがある。それが私、って思ってるとこがあるのかもしれない。

自分に対して死ねって言ったり、間違えたときに自分をつねるとほっとする。許されたような、自分を取り戻したような気になる。なんなんだこれ。

出来ない自分を責めていたい。それが安心する自分の居かた。

出来なければならないのが嫌。なんでできなければならないの?

できるようになる自分がいつもの自分と違って怖い。

 

やってみて、自分を責めて苦しまなくてもできることを知る。

 

できるようになってみる、その過程で出てくるざわざわを感じ切る。

できるようになるのが、自分の枠を広げること。

もうちょっとのところで自分で台無しにしてしまう。 なんで? 卒論のときもそうだったんだけど。

できるようになることの何が嫌なの?私。

できるようになることには終わりないから。いつも、だめな自分を確認してなくちゃならないから。

いつまでたってもこれで終わりってことがない。ずっと努力し続けなければいけない。ずっと、いつもできない人だ。終わりが欲しい。ここまでやったらいいって。

できるようになっても喜びよりつらさしかないんだけど。

 

頑張れない人は損したくなくて頑張らない。

健康を害する
やったのにうまくいかない
がっかりする
がっかりされる
失敗する
笑われる
怒られる
迷惑かける
嫌われる

だから
そんなイヤな思いをしたくないから
がんばることは素晴らしい、
と思っているけれど

がんば「ら」無いようにしてしまう。

そして

そもそもが
この「損」を恐れて動き出したことは
この「損の恐怖」を増幅する結果を
「自分で」「わざわざ」作り出して

ああ「やっぱり」だめだ、と
「言いたい」

「そもそもの動機=損したくない」から動き出したことは
「そもそもの動機を大きくする」結果しか生まないのです。

後者の「ガンバルをやめる」は
「死ぬほどがんばってみる」こと。
つまり、損すること。


どちらも「損しよう」です。


言い方を変えると
「その恐怖から逃げない」ということですね。

あなたが

「このままじゃだめだ、もっともっと」と「思って」いるから

 

会社も

 

そのまんま

 

「このままじゃだめだ、もっともっと」と

言ってくるわな。




結果出さなくていいの!!!




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「損してもいい」も同じ

 

 

心屋さんはそういう。

 

風間さんのバランス感覚を見習いたい。

プラスもマイナスもどっちも持っててそれでいいっていう感じ。否定しないの。

ダメって言わない感じ。

 

ある意味自分が恐怖と思っていることを恐怖と思わないってのがいいのかもしれない、苦労を遊ぶというけれど、ゲームにするみたいな。