よしなしごと

こころのこととか、前者後者論とか、好きなひとのこととか

人のメディア力 イメージは人がどうその人に対して思っているかで変わる イメージ操作

そもそも、自分のメディア力って、自分が普段どういうかかわりで人とかかわってきたかってことなんだ。

あと、普段のその人の振る舞いで、他人がどういうふうに感じていいるかってことも

例えばキングコング西野さんは私は、-イメージで、 芸人なのにどうして絵本なんか書いてるんだろうと思っていた。

でも本を書いている人はいっぱいいるし、それのすべてがーイメージの人ばかりでない。 

私の西野さんーイメージは山里さんと村本さんの西野さんへの恨み妬みを真に受けたから作られた。

同じようにロンブーの敦さんも、芸人にとどまらない幅広い活動をしている。司会もしてるけど、自分でイベント企画やったり、結婚式司会業もしている。

なのに敦さんのイメージはタレントで、漫才師でない悪い奴みたいなイメージはない。

それは敦さんに対して自分が頭のいい変わった人とか実業家みたいな、+イメージを抱いているからだ。

-イメージを抱いている人は漫才師でもないし、タレントでやること幅広くて中途半端だみたいなイメージを抱いているかもしれない。

それは自分が人にどれだけ自分の意志や活動に対して真摯に説明をしてきたかということ、周りに自分の活動や信念を分かってもらえるように活動してきたか、ってことと、メディアが作り上げるその人のイメージを視聴者が受け入れることから起こる。- 

+イメージで語られれば+イメージになるし、-イメージで語られれば-イメージになるんだ。

西野さんの場合テレビ露出が少ないから、皆に自分の考えを語れる機会が少ない。視聴者がどれだけ西野さんを知っているか。情報をということにも左右される。その人を好きか嫌いか、どれだけその人を知っているかにも左右される。

なんだったら村本、山里両人も、ほんとに西野を嫌いだったら、一緒に仕事をしたいと思わないわけで、この3人が集まって話したら、視聴者が見たいような話ができるかもしれない、という読みのもとに村本さんは座組を組んだわけで、ねたんでいることすら、ネタの可能性大で、本当はその人の力を認めて応援しているかもしれない。

だからテレビで話していることは、それとわからなくても、本心、本音ばかりでなくテレビ局が仕組んだ人を楽しませる作り話のことも多いよってこと。こいつとこいつを組ませたら面白いと思われなければ、何か利点がなければ呼ばれないわけで。その人が持っている他人に想起させる感情の総体、つまり本人そのものでなく、メディアイメージね。それがその人本人を表しているように言いがちだけど、全然そうじゃない。ことのが多い。

で、しかもそれは、テレビを見ている人がどういう情報やイメージをその人に対して持っているかや、メディア側のこの人をこういう風に見せたいという意思や、本人のこういうふうに見られたいっていう意思によっていかようにも変わってしまうんだ。

人は見たいものを見たいように見るってほんとだね。

たぶんそれはきっと一般人でも同じなんだ。その仕組みは。

 

だから風間さんは、あまり-イメージがつかないように、本音とか極端な物言いは避けるんだね、好感度的なものが下がると仕事がしにくいから。もしくは、それを言う時にはちゃんとその意図をみんなに説明する。風間さん頭がいいから、どういう風に言えばどのように伝わるか分かっている。そうすると、ある程度自分のイメージ通りに人に思わせるということも可能なんだ。そして、ちゃんと説明すると、この人は思慮のあるちゃんとした人だということが、視聴者の間で想起されるようになり、極端なことを言っても、何か裏の意図があるのではと思われて、言葉尻をとらえて批判されることが少なくなる。ちゃんとその人のイメージが働くんだよ。その人が築き上げてきた人との関係の総体が。